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春、パールバックの「汗」

本日4月11日金曜日の棚田活動参加者は5名でした。


昨晩からの雨が続き棚田作業は難しく、新規開拓地の「見晴台」と「ビオトープ」作り、あとは、桜見ながらのおしゃべりでした。


さて、春となると入学式や入園式。お孫ちゃんが心配そげに道を歩く姿は可愛いというよりも愛おしいというか心配でなりませんね。その時よくあるのが昭和病「出来るはずだ!」です。普通にあるいはいい人生を送ってほしい=何か足りない(ように見える)=自分はできた(つもり)=なぜできない俺の私の孫なら(根拠なく)出来るはずだ!!になりませんか?愛するが故ですよね、よく分かります。というか僕もそうです、でした、、その時思い出すのがタイトルの「パールバックの汗」の逸話です。これはパールバックが汗をかくのではなく、、娘の流した汗です。パールバック、言わずと知れた「大地」の作者でノーベル文学賞受賞者ですね。いわゆる出来る人。この人の娘が知的障害者でした。作家になったのもその教育費を稼ぐためだったと言われています。さて、ある日文字がなかなか書けない娘をパールバックは見ていました。胸中は複雑だったと思います。そこでふと見えたのが、娘の流す汗でした。娘は懸命に必死で汗を流して文字を書いている、、結果拙い不十分な文字であっても彼女は懸命に文字を書いているその姿にパールバックは自らの不明を大いに恥じた。という逸話です。ちょっとうろ覚えなんですが、これは痛く僕自身も不明を恥じました。この逸話を読んで以降、目の前で笑っている全然じっとしてなくいつもバタバタしているお孫ちゃんが心の中では必死に汗を流して筒いっぱい頑張っているんだと思えるようになりました。パンの耳を残すのはやめてほしいけどね(笑)。 (という単なる至らぬジジイの話でした)


 
 
 

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