6月4日快晴の今日は、というか今日も、黙々と竹を伐っていたのであまり写真は撮れませんでした。
素晴らしいお天気で眺めは最高。
池の周りにはモリアオガエルの卵塊が多数ありました。
恒例のB&A。同じアングルで撮ったつもりでしたがちょっと違ったかも。
ですね。
ブログもふた月ぶりです。皆様お変わりなくでしょうか?コロナも無事にというか5類に移管しなんとなくマスクも無くなってきましたね。
さて、最近20代の人と話していて、「はじめさん、里山なんて必要なんですか?」と聞かれました。飲んでないですよ、のんびりとした釣り堀の隣にある意外にフライ定食がうまい定食屋で何故か2時間くらい話してた時です。
「里山必要ですか?」
この時僕がピンときたのが、「脳内エコーチェンバー」です。
意訳すると「狭い小部屋チェンバーの中で同じ谺(こだま)エコーを聞いている自分とか人たち(の脳内環境)」です。僕の周りには「里山大切だよねー」という人がほとんどで、自分的にも住んでるところでもあるので、「ですよねー」なんですが、そら都会の人から見ると「?」と思うかもなと。
自分が小さな部屋に入って同じ言葉を聞いてる同じ言葉を話してるんじゃないかなと、ちょっと寒気がしましたね。いつも自分がこれってあの狭い部屋かもしれんと疑わないといかんなーと。
しかし、世の中そうは出来てないのが、「フィルターバブル」。
ご存知だと思いますが、Googleとかネットで検索するときや何やらするときは、打ち込んだ瞬間にアルゴリズムが働いて、自分の嗜好にあった内容が検索データで出てくるそうです、まあレコメンドもそうですよね。そうしてどんどん分化されてあるカテゴリー(自分にあったと想定されフィルターされた泡バブルの中に誘導されはまりこんでいく、、、あの小部屋に。寒いですねー、暑いけど。
カール・マルクスの嗜好のいや至高の名言曰く
「全てを疑え」
これって誰かの結論(チェンバーの室名みたいな)を鵜呑みで言ってるんじゃないのか?
これって入り口の情報にバイアスが入ってるんじゃないのか?
これって僕の結論なのか?
将棋で次の一手を考えるための一番長かったいわゆる長考は5時間24分。
それぐらいは、何か意見を言う時には考えてから言った方がいいなあと思う今日この頃です。
脳の内側の掲示板に「里山って必要ですか?」のポストイットを貼っておきます。
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